一万円札の原価は?

仕事と生活のワークバランスは
この問いに対して真剣に考えたことがある人は何人いるでしょうか?
一人ひとり違う考えがあると思いますが、バランスが取れなく悩んでいる人も多いのではないでしょうか?

一万円札の原価は30円

闇金ウシジマくんのドラマを見ていて出てきたワンフレーズが、

「一万円札の原価って知ってます?30円ですよ?」

この言葉は、重くたくさんのことを考えさせられました。

仕事はしなくてはいけないことなのか?

ワークバランスについて考えたとき、仕事はやらなくてはいけない。そう思っていて、生活と仕事を完全に分けて考えている人が多かったことに少し驚きました。

・なぜ働くのか?

人はなぜ働くんだろう?

僕が出した答えは、贅沢をするため

なぜこのように思ったかというと、大学の同級生が就職した職種のうち半分以上は贅沢を追及する会社だと感じたからです。

例えば、航空会社はなくても生きられます。でも、ないと海外に早くいくことはできません。行きたい人がいてその人たちがお金を出すから成立している職業だと思います。

もう1つ例に挙げると、商社。ものを売るために、製造と販売の仲介役を担っています。商社も様々なぜいたく品を日本、世界中に供給するためにあると思っています。

こう思うようになったおも、なくても生活できていけると感じたから。

生活とは何だろう?

仕事についてはパッといろんなことが浮かんできたんですが、生活については少し悩みました。生きていくために必要なことって何だろう?仕事と生活を分けたとき生活にはどのような意味合いがあるかなど。。。

・生きるために必須なことが生活

もう生きるために必要なことが生活だと考えるようになりました。食事を食べること、最低限の居場所、衣服を作ること、火をたくこと。これが生活において大切なものだと思っています。

農業を仕事にしている人は、野菜を作ることも仕事、売ることも仕事です。このような仕事の場合は、仕事も生活も同じだと思っていて、自給自足できる分野菜を作りほかのことをしたいときは、野菜をお金に換えて買う。

これこそ、生きるための生活だと思っていて、生きること以外を考えなければ、野菜を作っているだけで生きて行くことはできると思います。でもそれだけでは、人間幸せとは言えなくなっています。だからこと、現金を必死に稼いで、より多くの贅沢を望むようになっているように感じます。

30円のために必死で働く不思議な世界

僕は今の状況をそうたとえます。だって、原価30円のお札のためにみんなやりたいことを我慢して必死に働いている。居酒屋で飲むのに5000円使う時代。これを贅沢といわないで何を贅沢というのか?そう感じるのです。

・誰もが同じ価値観ではない

もちろん誰もが僕と同じ考えだとは思わない。

お金を稼ぐことが一番でやらなくてはいけない。それもその人の考えで、全員が一緒だったら逆に怖いと思います。でも、僕は、お金を稼ぐことに目がくらんで目の前のやりたいことから逃げることはもったいないと思う。

やりたいものは、誰がなんと言おうともやるべきです。

人間みんなが平等ではありません。一日でも早くチャレンジしてより多く失敗した人ほど、今よりいい結果が待っています。

スポンサードリンク




スポンサードリンク
スポンサーリンク
SponsoredLink
SponsoredLink

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
SponsoredLink